1)心を亡くすほど、忙しい日
仕事を終えて椅子に座ったまま、しばらく動けなかった・・・・そんな経験はないでしょうか。今日は誰と何を話し、何のために一日を使ったのか、振り返ってもほとんど思い出せない。ただ予定をこなしただけの一日、という感覚だけが残る・・・。
「忙」という字は、心を亡くす、と書きます。忙しいこと自体が悪いのではなく、その中で何のためにそうしているのかを見失うことのほうが、本当は心に大きなダメージを与えるのかもしれません。自分を見つめる時間も、人ときちんと向き合う時間も、「忙しさ」が真っ先に削り取っていくからです。
2)差し出してきたものの答え
もし明日、会社から必要とされなくなったら、自分の手元に何が残るだろうか。
仕事に多くの時間とエネルギーを注いできた人ほど、そんな不安がよぎるかもしれません。自分が差し出してきたものの大きさに比べ、その答えは驚くほど手元にありません。ただ食べて、働いて、老いて、死んでいくだけなのか・・・・そんな問いが、忙しさの隙間に、ふと顔をのぞかせることがあります。
3)疲れた人への招き
こうした心にのしかかる重さに答えてきた言葉があります。
世界中で読み継がれてきた聖書という本に、こう記されています。
28重い束縛を受けて、疲れはてている人たちよ。さあ、わたしのところに来なさい。あなたがたを休ませてあげましょう。
ここで「わたし」と語っているのは、聖書の中心人物である神の御子イエス・キリストです。
4)軸がずれるということ
では、この「重い束縛」の根っこには、何があるのでしょう。
自転車は、軸がずれると、まっすぐ進まず、乗る人も落ち着きません。心も、これとよく似ています。聖書は、人は神を知り、神との関係の中で生きるように造られたと教えています。ところが私たちは神から離れ、自分を中心に生きるようになりました。聖書は、これを罪と呼びます。その結果、自分自身や、欲しいもの、お金などが、神の代わりに人生の軸となり、心も人生も本来あるべきところからずれてしまったのです。
聖書はこう書かれています。
23すべての人は罪を犯したので、神の標準にはほど遠い存在です。
つまり、私たちは皆、この「軸のずれ」を抱えています。
しかし神は、そんな私たちを見捨てず、御子イエス・キリストを与えてくださいました。イエスは私たちの罪を背負って十字架にかかり、神との関係を取り戻す道を開いてくださったのです。
5)今日、始める
神の御子イエス・キリストは「あなたがたを休ませてあげましょう」と招いてくださっています。
信じる、信じないを、今日すべて決める必要はありません。
それでも、知っておいてほしいことがあります。
神は、すでにあなたのことをご存知です。
そして、あなたが心の中で語りかけるその小さな声を、今か今かと待っておられます。これは、あなたにとって最高の知らせです。
今日、その一言を、イエス・キリストに静かに声にしてみませんか。「イエス様、あなたを知りたいです」。
上手な言葉である必要はありません。
6)祈りの提案
あなたは今日、このように祈ってみましょう。
イエス・キリストは、あなたの言葉、あなたの祈りを待っておられます。
「イエス様、私はあなたが必要です。忙しさの中で見失っていた心を、どうか取り戻させてください。私の罪のために十字架にかかってくださったこと、その意味をもっと知りたいです。私の心をあなたに向け、あなたを知ることができるように導いてください。私が必要としている、本当の休息と平安を与えてください。」